家族みんなが幸せになる介護ノート

今日は産業ケアマネコンサルタント養成講座
最終日でした


全員が10分プレゼンを行い
講師の進先生、山﨑先生
そして前田も10分プレゼンを行いました


タイトルの
「家族みんなが幸せになる介護ノートの作り方」


実はこれ 2019年1月 セミコングランプリ
全国大会決勝戦に進んだ時のセミナータイトル


産業ケアマネの活動をするずっと前から
家族介護支援について語っていたんですね 私



名古屋1期生の卒業に
この10分プレゼンを内容修正してお届けしました

育児と介護のダブルケアをした頃

当時 私は33歳 母は59歳
長女4歳 長男2歳



突然倒れて 会話ができなくなり
全身麻痺 人工呼吸がついている状態だった



私の妹も弟も家庭があり
小さな子供を抱えての介護



父は当時疎遠にしていましたので
まだ若かった私たちきょうだいだけで
母の介護をしてきました




母が入院した日から病室に交換ノートを置きました
私たちきょうだいはお互いに忙しく
顔を合わせてのコミュニケーションが難しかった




当時 今のようにLINEなどなかったので
病室のノートで情報共有をしていた
・医師から言われたこと
・治療方法
・清拭をしたこと
・準備しなくてはいけないもの
・治療費の領収書
など業務連絡的なものから




母へのエール
小さかった子供たちの様子
自分の気持ち なども書いたノートだった




まだ若かったので
周りに介護をしている友人もおらず
夫へも本当に辛い気持ちを言えず
真っ暗なトンネルの中に取り残されたような
そんな状態の毎日での介護だった




やがて母は突然亡くなってしまう
病院で痰を詰まらせての窒息だった



4ヶ月続いた介護が突然終わる
その時「あぁ これでこの辛い介護が終わる。」
母が亡くなる悲しみと同時に
介護が終わる 開放感を感じてしまった




のちにこのことがずっと
罪悪感として私の心に残っていた


10年後に出てきた介護ノート

セミコンの発表で苦しんでいた時
急に思い出したノートの存在



実家の弟に探してもらい 送ってもらった

中を開いて 思わず泣いてしまった
そこには若かった私たちきょうだいと
闘病に頑張った母の記録が残っていたからだ

辛くて読み返すことができなかったノート
いつの間にか その存在も忘れていたが
10年ぶりに読んだ時
自分の中の罪悪感が消えた



私たちはこんなにも頑張って介護をしたのだ
母も一生懸命 病気と戦っていたのだ



このノートは家族の宝物になった




2019年のセミコングランプリで発表した
「家族みんなが幸せになる介護ノートの書き方」

介護離職リスクは中年だけじゃない

企業の介護離職は10万人
経済損失は9兆円



1兆円は介護離職によるもの
8兆円は介護のためにパフォーマンス低下によるもの



企業の担当者にとって
仕事と介護の両立支援は避けて通れない課題



当時介護をした私は30代前半だ
まさかこんなに若い人が介護を抱えているなんて
担当者は考えもしないだろう



当時の私は話を聞いてくれる人が欲しかった
ひたすら私の味方になってくれる人が欲しかった




当時の私を救いたいから
私は今も介護の仕事を続けているんだと思う




従業員が上司に相談するとき
自分の中で結論が出てしまっていることが多い



そうなる前に 第三者の専門家だから
しっかりと聞いてアドバイスを受け
仕事と介護を上手に両立できる環境を作ること



企業や行政にその対応が迫られている
少子高齢社会 現役世代2人で1人の高齢者を支える
いつ介護離職が起こってもおかしくない



本日無事卒業された
名古屋1期生の方に向けて

自分の体験をもとにした
プレゼンをプレゼントしました

半年間お疲れ様でした
みなさんのプレゼン 本当に素晴らしかったです