宮崎 直樹さんを偲んで

実は私、Voicyという音声配信をしているんですが
今週でちょうど100回目を迎えました

特に狙ったわけではないんですけど
この100回というタイミングで
また宮崎さんのことをお話しする流れになりました

昔から私の発信を見てくださっている方は
ご存知かもしれませんが
最近知ってくださった方の中には
「宮崎さんって誰?」と思われる方も
いらっしゃるかもしれません

少し補足させていただくと
私が10年前から関わっている
「産業ケアマネを紡ぐ会」という団体があります

現在、私が副会長を務めていますが
この会を立ち上げたのが宮崎直樹さんです

宮崎さんは私より5歳年下でしたが
2年前、がんでこの世を去りました

47歳の誕生日を迎えて間もなくのことでした

宮崎さんの時間はそこで止まっていますが
私は今年もまた、年齢を重ねていく
そんな感覚の中で
今週は宮崎さんに向けてVoicyを収録しました

収録の冒頭では
宮崎さんのお葬式で読んだ弔辞を改めて読み上げました

弔辞

「一燈照隅 万燈照国 」

中国の古い言葉です

1人が持つ松明の明かりだけでは
隅を照らすことしかできない
しかし国中の人が松明を手に掲げた時
国中を照らすことができる、という意味です

宮崎さん、あなたに出会う前
8年前の私は
愛知の地方の片隅に暮らす主婦ケアマネでした

ケアマネージャーを紡ぐ会の活動
あなたが提唱する
『ケアマネージャーの心と体を軽くする
業務効率化セミナー』を
受講したことがきっかけでした

それから今までたくさんのことがありましたね
ある日あなたは言いました

「前田さん、糸ってのはな
繊維を紡がなきゃ糸になんねんだよ

俺たち介護職ってのはな
その糸にすらなってないんだよ

こんなに介護職ってすごい仕事なのに
ケアマネージャーって優秀なのに
どうしてこんなに待遇が悪いかわかる?

俺たち介護職が声を上げないからなんだよ

俺たち介護職が手をつないで糸になり
糸を織り上げて布にしなければいけないんだよ」

これがケアマネージャーを紡ぐ会の名前の由来です

政治とは無縁だった私の前に
議員という道があることを教えてくれました

令和2年10月
岡崎市議会議員選挙の3週間前です

投票日の3週間前に立候補を決めた私を
多くの仲間を巻き込んで見事当選させました

田舎の主婦ケアマネが
ある日突然岡崎市議会議員です

私の選挙をきっかけに
介護職をしながら議員をしている人間がいることを
知ったあなたは
全国の介護職議員5人で本を出版しました

令和3年10月
『介護職よ地方議員を目指せ』

全国の新聞記事に取り上げられて
それを読んだ全国の介護職議員から連絡がありました

そして令和4年4月全国の超党派議員連盟である
『政治と介護を紡ぐ会』が発足しました。

あなたはとどまることを知らない勢いで
自分の頭の中のイメージを具現化していきました

「日本の介護を舐めんなよ
介護職の地位向上をしなければ
日本の介護は終わってしまう

だから
介護の世界から政治家をどんどん輩出するんだ」

一燈照隅 万燈照国

あなたはそれぞれの心の中にある
小さな火を見つける名人です

全国の介護職の心の火を大きくしました

中には議員として
我々介護職の代弁者となる存在を作りました

日本の介護が良くなるように

介護職が自分の仕事を
精神的にも経済的にも誇れる仕事と
胸を張って言えるように

私たちの心の火を松明に変えて
国中の介護職が手に松明の灯し火を掲げて
やがて国中を照らし国を変えていくことで
介護職が自分たちで
自分たちの地位向上をしなければいけない

そう教えてくれました

あなたがことあるごとに言った
「一燈照隅 万燈照国」

残された私たちはこの思いを
しっかりと繋いでいく存在になります

宮崎さん、あなたほど心の広い人を私は知りません

あなたほど戦う勇気がある人を私は知りません

そしてあなたは戦った相手の心の痛みまで感じてしまう
心の優しい人でもありました

今日は5月にしてはとても暑い日でした
これから夏が来て秋が来て冬が来てまた春が来ます

季節は巡りますがどこにもあなたはいません
そのことが、ただただ寂しいのです

今日ここに集まった人たち
ここには来れなくてもたくさんの人から
あなたへのメッセージ、思いが届けられました

たくさんの人に愛情を傾けたあなたを
私たちはたくさんの愛の力で見送ろうと思います

日本の介護は明るい

あなたに心の火を大きくされた私たちで
この国の未来を照らします

きっと見ていてください

令和6年5月4日
ケアマネージャーを紡ぐ会
岡崎市議会議員
前田麗子

忘れていくことと、思い出すこと

宮崎さんはまさに
ひとりひとりの心に火を灯す人でした

介護職が手を取り合い、糸となり、やがて布となる
その言葉に導かれて
私は議員という道に進みました

あの時の弔辞は
私自身の人生そのものでもありました

去年宮﨑さんが亡くなって一年のタイミングで
この弔辞を読み返した時は
涙をこぼしながら読み返しました

でも今年は、少し違います

良くも悪くも
人は忘れていく生き物です

あれほど大きな存在だった宮崎さんも
時間とともに少しずつ輪郭が薄れていく

それは寂しいことでもありますが
同時に、人間が前を向いて生きていくために
神様から与えられたギフトであり
未来を生きるために
必要な力でもあると感じています

だからこそ私は
こうして毎年振り返る時間をつくる

忘れないためではなく、思い出し続けるために

先日ケアマネジャーを紡ぐ会の
進絵美会長、佐藤つぐみ副会長
そしてもう一人の副会長前田れいこ
3人で宮﨑さんの墓前に手を合わせてきました

私は今もこちら側で頑張っています
時々は様子を見に来てくださいね
ずっとみんな あなたが大好きです

今、私がやっていることの原点

2年が経って、先日
宮崎さんのお父さんからメールをいただきました
「直樹の三回忌が終わりました」と

早いなあと思いましたし、同時に
まだ2年しか経っていないのかという感覚もありました

その両方の気持ちが混ざり合うのが
今、宮崎直樹という人を思い出したときの
正直な感覚です

それくらい世の中はめまぐるしく変わっていて
介護保険を取り巻く状況も、人口構造も
経済のあり方も、どんどん変化しています

その中で私たちは、介護職として
また介護に関わる一人として
どんな立ち位置で、どんな存在として在り続けるのか
それをどう示していくのか

こうして年に一度、宮崎さんを振り返ることで
改めて考えることができているなと感じています

今回も、その節目として弔辞を読み上げましたが
今の私は、介護職の地位向上という枠だけにとどまらず
もっと広い視点で取り組んでいきたいと思っています

介護職だけではなく
介護に関わるすべての人を支えたい

そう言うと少し大きすぎるかもしれませんが
自分たちが持っている知識や経験で
社会の中にあるさまざまな課題に
向き合っていけるのではないかと感じています

私は今、産業ケアマネという形で
「仕事と介護の両立支援」に取り組んでいます

でもそれは、単に制度や仕組みの話ではなくて
介護に関わるすべての人が
苦しみだけで終わらないための取り組みです

私自身、母の介護を経験しました
30代前半の頃、すでに母は寝たきりの状態でした

でも、介護があったからこそ
最後に母の手を握って「お母さん、頑張って」と
声をかけることができました

その手を握りながら、ふと思ったんです
子どもの頃
当たり前のように手をつないでくれていた母と
大人になってから、もう手をつなぐことなんてなかった

でも、介護があったからこそ
人生の最後にもう一度
母と手をつなぐことができたんだなと

そう思ったとき
介護は決して悪いことばかりではないと感じました

家族の歴史をもう一度振り返ることができるし
これまで言えなかった
感謝の気持ちを伝えることもできる

日本人は「愛してる」とはなかなか言わないけれど
介護という時間の中で
ちゃんと愛を伝えることができるのではないかと思うんです

だからこそ、介護が「苦しかった」で終わってしまうのは
とてももったいない

本当はそこに、かけがえのない時間があるはずなのに
余裕がないまま
その大切な時間に
気づけないまま終わってしまうことも多い

だから私は思うんです
すべての人が、介護で苦しむのではなく
「介護をしてよかった」と思って
見送れるような社会にしていくこと

それが、これから私たちが果たしていく
使命なんじゃないかなと

宮崎さんから受け取ったもの

「介護で苦しむ人を、この世からなくす
この想いは、ずっと変わりません

そのためにまず必要なのは
介護職自身が心と体を整えられる環境をつくること

それが結果として、多くの人を支える力になる

宮崎さんの存在は、今でも私の中で活動の軸です
これからもきっと、その軸は変わることはありません

時間が経てば、人の記憶は少しずつ薄れていく

それでも、自分の中に残った火は消えない

その火を絶やさず、次の誰かへと繋いでいくこと
それが今の私にできることだと感じています

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