君のいない世界など

宮﨑さんが亡くなったと
朝LINEで知らされた


この頃は 朝起きるたびに
覚悟をしながらメールを開いていたが


今朝は別の要件のメールのやり取りの
最中に飛び込んできたメールで
あまりにも不意を突かれた



眠るように 少し微笑みながら
苦しまず 静かに
空に旅立たれた とメールに書かれていた



勝手に旅立ってんじゃねえよ



この世に宮﨑さんがいない




涙も出なかった




淡々と毎朝のルーティンをこなした



通学路に立ち 小学生の見守りをした
会社へ行き 軽作業をした
市役所へ行き書類を提出した


その後 車に乗って 次の予定に向かう時
車の中で声を上げて泣いた
運転しながら 次の予定の場所に向かう
ほんの ひと時





4年前 立候補を決めた時
宮﨑さんと山口さん(東かがわ市議会議員)
がzoomで意気投合し
私を市議会議員選挙へ押し出した


当開票日の3週間前だ



船橋市と東かがわ市から
二人の男がやってきて
目一杯の応援をしてくれた



告示日のくじ引きは宮﨑さんが引いた




1週間の戦いが終わり
当開票日 いつまでも当選が決まらず
夜中の3時までzoomで付き合ってくれた



当選が決まった時
宮﨑さんと山口さんが
我が事のように喜んでくれた



この出来事がきっかけとなり
全国の介護職議員五人で本を出版



「介護職よ!地方議員を目指せ」



この本をきっかけにして
全国の介護職議員が集まり
超党派議員連盟ができた



「政治と介護を紡ぐ会」




宮﨑さんは政治の力で
世の中を変えられる力となり得ることを
教えてくれた



今の自分があるのは
間違いなく 宮崎直樹という人の
存在があるからだ



なのに 勝手に空に旅立ってんじゃねぇよ




「最後のお願い」って
最強ワードで
たくさんの人の心に火をつけて
勝手に旅立っていった



明日も淡々と仕事をこなす
泣く暇もないほど
一生懸命仕事をしようと思ってたところに



宮﨑さんの奥様から電話があった



「パパのお願いで
前田さんに弔辞を読んで欲しいって
頼んでもいいですか?」




宮﨑さん言ってたよね



赤塚不二夫にとってタモリは作品だ
前田麗子は宮崎直樹の作品だ




なんつーこと言うんだって
その時は思ったけど




あちらの世界で自慢しちゃうくらい
「あれ 俺の作品の一つ。いいべ?」
自慢できる弔辞作るよ



あーーーーーーー



なんか さみしいな



宮﨑さんがいない世界なんて
ちょっと まだ 想像がつかないな




お通夜は5月4日だって
そこで弔辞を読むんだって



最後まで 皆のこと気遣って
役所が休みの日にやってくれるみたい



全て 周りが困らないようにして
旅立って行った


勝手に旅立ってなかったね



最後まで 周りに愛情を傾けて
愛に包まれて逝ったんだね



本当にありがとう
あなたは私の光で道標でした



道標はもうこの世にはないけど



迷った時には 心の中で聞くね
「宮﨑さんなら どうする?」



私 まだしばらくこちらで仕事があるから
頑張ってるから 見ていてください



寂しくなったら 空を見上げて
あなたを思い出します



あなたが悔しがるくらい
こちらで頑張ってみようと思います