宮﨑直樹という人

人生の中に影響を与えた人
みなさんの中にもいらっしゃると思います



私の人生を大きく変えた人であり
師匠であり、恩人である
宮﨑直樹という人のことを書きたいと思います

ケアマネジャーを紡ぐ会

ケアマネジャーを紡ぐ会
平成26年に太田事務局長と宮﨑会長の二人で立ち上げた会



「ストレス研修」というタイトルのセミナー
この1本のセミナーで二人で全国を周り
一人一人仲間を作っていった



平成28年12月
このストレス研修が名古屋で開催された時
1枚のファックスD Mに釣られて参加した



その時、まさに目から鱗が落ちたとはこのこと
ケアマネジャーの仕事って、つまりこういうことなんだ
仕事の効率化とは、こういうことなんだ




全てが腹落ちした瞬間でした
あすなろケアプランを立ち上げて半年のタイミング
自宅で一人ケアマネをしていましたが
予感があったんです



「このやり方をあすなろケアプランのスタンダードにしてしまおう。」
そうすれば、人が増えた時に、その人たちが楽に仕事ができるし
事業所としての業務ノウハウが確立できる






その後平成29年4月から毎月宮﨑会長と太田事務長が
名古屋にやってきて毎月このストレス研修をやってくれた
毎回研修の後には懇親会があり
地域関係なく多くのケアマネジャーとの交流が始まった




毎月東京からやってくる会長たちは
当時の私にとって本当に憧れで
キラキラしていて
「自分もこんな風になりたい。こんな風に全国で仕事をしたい。」




そんな憧れのケアマネジャーだった宮﨑会長でした



その後、宮﨑会長はご自身の信念を貫き
船橋市議会議員となられて
さらに私たち介護職の地位向上を目指すべく
精力的に活動をされていました



途中コロナ禍の最中も
自分達の仲間を増やすべく
ケアマネジャーを紡ぐ会から
前田麗子(令和2年)
佐藤つぐみ(令和3年)
2名の介護職出身議員を輩出させました



同じ志を持つ全国の介護職議員と繋がり
”政治と介護を紡ぐ会”を令和4年4月に発足させて
今なおその活動が広がり続けています



そんな矢先、令和5年3月
宮﨑会長のがんが分かりました
「絶対に復活する。」
そう誓って療養生活に入られました


”最後のセミナー”をやる

夏頃でしょうか
宮﨑会長の口から「10月9日に最後のセミナーをやりたい。」
という言葉が出ました



熟慮の上での言葉だと思います
いろいろな考えがあっての言葉です



この日、ご自身が経営する
介護屋みらいの全体会議で全社員に向けて研修をするから
その様子を紡ぐ会のプレミアム会員に向けてオンライン研修としたい



「自分ができる紡ぐ会の最後のセミナーだと思う。」



紡ぐ会の主要メンバー
集合をかけたわけではないけど集結



コロナでzoom会議ばかりだったので
こうして皆が顔を合わせるのはいつぶりなのでしょう




宮﨑会長の「ストレス研修」
途中何度も「うぅぅ〜」って声にならない声で
時々おとずれる腹痛に耐えながら
2時間の研修を立ったまま行いました


7年前に聞いた時と同じフレーズから始まった

「お聞きします。今月のケアマネの仕事が終わったよ。という方手をあげてください。」
ストレス研修は毎回宮﨑会長のこのフレーズから始まります



7年前も同じセリフから始まりました
思えば、ここから私の人生が大きく動き出したなぁ



聞きながら、少し涙が溢れてきましたが
そこはグッと堪えて
私たち紡ぐ会メンバーは隣の部屋で
パソコン画面上で受講をしました



私が座った場所は
ちょうど隣の部屋の宮﨑会長が見える場所
リアルの会長の姿とパソコン上の会長の姿両方が見える場所
究極のハイブリッドセミナーを堪能しました



参加全員がいろんな思いを胸に
セミナー受講をしていたのだと思います



今の宮﨑会長にとってはどんな瞬間も大切な時間




本当は直前まで船橋に行くことを躊躇っていた私
元気なイメージの宮﨑会長でいて欲しかったから
しかし直前に友人が背中を押してくれました




「僕が宮﨑さんなら、来て欲しいと思うよ。」




行かなかったら、きっと一生後悔したと思います
どんな姿でも私の師匠で恩人の宮﨑会長です




セミナー前後はご病気のせいか今までと印象が違いましたが
セミナー中はどんどん引き込まれる
生涯この日のようなセミナーはきっと聞くことがないでしょう


あんな辛い時には戻りたくない

セミナー終了後
自社の全社員の前で語りかけていた宮﨑会長



隣の部屋で私たちは聞いていました



「僕は最初に精密検査で引っかかったあの時に
戻りたいか?と言われたら
3年前のあんなに辛かった時には絶対に戻りたくない。」



「2年前ならどうだ、と言われても
やっぱり、あんな辛い時間はもう経験したくない。」



「負け惜しみじゃなくて、本心から今がいいと思っている。」




それを聞いた時、これまで宮﨑会長は笑顔の下で
どれだけ歯を食いしばって生きてきたのか
ということを初めて理解しました




常に”今”を真剣に生きてきたんだな。って




3月に宮﨑会長のがんが分かってから
これまで師匠として私の道標だった方なので
情けないくらいに、どうしていいか分からなくなりました




何か成果を上げた時
頑張った時
常に宮﨑会長に褒めてもらえる




それが心から嬉しくて頑張ってきた一面もあります




宮﨑会長の最後のセミナーを聞きながら思ったのは
今までのようにお話はできなくても
これからは彼の思想、理想を道標にやっていこう




宮﨑会長ならどう考えるかな
宮﨑会長ならどうするかな



私も宮﨑会長のように
”今”をもっと真剣に生きてみたいと思います






毎月名古屋にやってきて
セミナーをやってくれて
懇親会で皆で馬鹿騒ぎして
紡ぐ会がどんどん大きく広がっていって




私もあの時に戻りたいか?
と聞かれたら、答えはNOです
私も私なりに頑張ってきて
その時のベストを尽くしたと思っているから



過去には決して戻れないし、戻りたくもないけど
記憶の中ではいつでもあの時に行ける
”今”を真剣に生きる。ってそういうことだと思うんです





叩き込まれた宮﨑イズムは
紡ぐ会の中でずっと続くでしょう




本当に素晴らしいセミナーでした
宮﨑会長の在り方
あんな人はなかなか出てこないんじゃないかな



7年前のたった1枚のFAX DXで
宮﨑会長のストレス研修を受けたことが
”前田れいこ”を作っています




全てのことは偶然じゃなくて
良いことに向かうための必然なんだと思います
宮﨑さん本当にいいセミナーをありがとうございました