あれから一年経ちました 当時読んだ弔辞を再び

ケアマネージャーを紡ぐ会の会長
宮崎直樹さんが亡くなられてから一年が経ちます

昨年の今頃、お葬儀が執り行われました
その際に私は
生前のご本人から弔辞を読んでほしいと託されており
「宮崎さんを送る会」でその言葉をお伝えしました

昨年、2024年5月にも
「弔辞」というタイトルでブログに綴りましたが
あれからもう一年が経ち
あの時と今の想いを重ねて
言葉にしてみたくなりました

今回は改めて、弔辞の全文とその背景
そして一年経った今
私が感じていることをお伝えさせてください

弔辞

「一燈照隅万燈照国」

中国の古い言葉です

一人が持つ松明の明かりだけでは
隅を照らすことしかできない
しかし国中の人が松明を手に掲げたとき
国中を照らすことができるという意味です

宮崎さんあなたに出会う前、8年前の私は
愛知の地方の片隅で暮らす主婦ケアマネでした

ケアマネージャーを紡ぐ会の活動
あなたが提唱する
『ケアマネージャーの心と体を軽くする
業務効率化セミナー』
を受講したことがきっかけでした

それから今までたくさんのことがありましたね

ある日、あなたは言いました

「前田さん、糸ってのはな
繊維を紡がなきゃ糸になんねんだよ
俺たち介護職ってのはな
その糸にすらなってねえんだよ

こんなに介護職ってすごい仕事なのに
ケアマネージャーって優秀なのに
どうしてこんなに待遇が悪いかわかる?

俺たち介護職が声を上げないからなんだよ

俺たち介護職が手をつないで糸になり
糸を織り上げて
布にしなきゃいけないんだよ」

これが、ケアマネージャーを紡ぐ会の名前の由来です

政治とは無縁だった私の前に
議員という道があることを教えてくれました

令和2年10月 岡崎市議会議員選挙の3週間前です

投票日の3週間前に立候補を決めた私を
多くの仲間を巻き込んで、見事当選させました

田舎の主婦ケアマネが
ある日突然、岡崎市議会議員です

私の選挙をきっかけに
介護職をしながら議員をしている人間がいることを
知ったあなたは
全国の介護職議員5人で本を出版しました

令和3年10月
『介護職よ地方議員を目指せ』

全国の新聞記事に取り上げられて
それを読んだ全国の介護職議員から連絡がありました

そして令和4年4月
全国の超党派議員連盟である
『政治と介護を紡ぐ会』を発足しました

あなたはとどまることを知らない勢いで
自分の頭の中のイメージを具現化していきました

「日本の介護職をなめんじゃねえ
介護職の地位向上しなければ
日本の介護は終わってしまう
だから
介護の世界から政治家をどんどん排出するんだ」

一燈照隅万燈照国

あなたはそれぞれの心の中にある
小さな炎を見つける名人です

全国の介護職の心の炎を大きくしました

中には議員として
我々介護職の代弁者となる存在を作りました

日本の介護が良くなるように
介護職が自分の仕事を
精神的にも経済的にも誇れる仕事と
胸を張って言えるように

私たちの心の炎を松明に変えて
国中の介護職が手に松明の灯火を掲げて
やがて国中を照らし国を変えていくことで
介護職が自分たちで
自分たちの地位向上をしなければいけない

そう教えてくれました

あなたがことあるごとに言った
「一燈照隅万燈照国」

残された私たちはこの思いを
しっかりとつないでいく存在になります

宮崎さん、あなたほど心の広い人を私は知りません
あなたほど戦う勇気がある人を私は知りません

そしてあなたは戦った相手の
心の痛みまで感じてしまう
心の優しい人でもありました

今日は5月にしてはとても暑い日でした
これから夏が来て秋が来て
冬が来てまた春が来ます
季節は巡りますがどこにもあなたはいません

そのことが、ただただ寂しいのです

今日ここに集った人たち
ここには来れなくてもたくさんの人から
あなたへのメッセージ、想いが届けられました

たくさんの人に愛情を傾けたあなたを
私たちはたくさんの愛の力で見送ろうと思います

日本の介護は明るい

あなたに心の炎を大きくされた私たちで
この国の未来を照らします

きっと見ていてください

令和6年5月4日
ケアマネージャーを紡ぐ会
岡崎市議会議員前田麗子

降りてきた言葉

弔辞を宮崎さんの奥様から弔辞を頼まれたのは
亡くなられた翌日でした

分かりました、とお返事をしたんです
ところが
そこから本当に何も書けなかったんです
全く何も思い浮かばなかったんです

どうしようかなと思いながらも、本当に書けなくて
それが、5月4日
宮崎さんを送る会へ向かう出発30分前に
それまでまったく書けなかった弔辞の文章が
突然降りてきたんです

慌ててパソコンで書いて、新幹線に飛び乗り
船橋のコンビニでプリントアウトして
そこで買ったのりでつなぎ合わせて
ギリギリ間に合いました

読み上げるその時まで
これは私が書いたというよりも
宮崎さんが書かせたんじゃないかと思うような感覚でした

言葉が、自然に湧いてきたんです

今もまだ、実感がない

1年が経ち、口に出して読んでみると
やっぱりまだ、実感がないんです

本当に宮崎直樹という人が
この世に存在したんだろうかと

でもきっと、あの出会いは偶然ではなく
必然だったんだと思います

たった一枚のFAXの案内を見逃していたら
私はこの出会いを逃していたかもしれない

本当は別の予定があった日だったのに
日にちを1週間勘違いしていたおかげで
そのセミナーに行けた

それがきっかけで
ケアマネージャーを紡ぐ会と出会って

そして宮崎さんがきっかけで
講師の仕事をすることになって
人前で話すことがあって
いつの間にか議員になっているという

人の出会いというのは本当に不思議ですよね

年齢も環境も、あの時の私だからこそ
すべてが巡り合わせだったのだと思います

この一年、日々の忙しさに追われていても
あの出会いが私の人生を変えたことは変わりません

本当に何かを成し遂げようと思ったら
自分ができることを
できる範囲の中で、できる時に
やっていかなくちゃいけないと改めて思うのです

最後に

人との出会いは不思議です
そして、その出会いがもたらすものは計り知れない

皆さんにもないですか?

なぜこのタイミングで
この人に会ったんだろうと思えること

本当に宮崎直樹という人がいたのだろうか
なぜ私の前に現れたんだろうか

そんなふうに、私も思うことがあります

あの時、あの瞬間に出会えた奇跡を
そして宮崎さんが灯してくれた火を
これからも私たちは、次の誰かへと渡していきたい

心に火を灯してくれた人を思い出すとき
私たちもまた誰かの松明になれるのだと思います

宮崎さん、あなたがくれた光は
これからも私たちの歩む道を照らし続けます